北九州市小倉南区 (1970-1973)

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1973年5月 3歳になる3ヶ月前の6月に小倉のア パートから行橋市の一軒家へ引っ越した。
小倉での思い出は写真から判断する以外に ほとんど残っていない。
<過去を探る>
1998年28歳の春 日本へ一時帰国の際に小倉のア パートを訪れてみた。アパートは下到津に あり、到津動物園の近くであった。目的地 が近づくにつれ、その時の思い出が少しづ つではあるが、母と一緒に買い物から急坂 を登って帰った事や、策・壁等に上って側 溝に落ちた等 よみがえってきた。
残念ながら過去数十年間ほとんど修復・改 築がされておらず、ポロポロ状態であった。
アパートの遊び場は思っていた以上に小さ く、子供の目から見た様子とは異なってい た。
とりあえずその後は再び帰路についたが、 過去25年間の時間の経過を考えさせられる出 来事であった。

行橋市での子供時代 (1973-1989)

行橋市は瀬戸内海と山に挟まれている平地 にあり、人口約6万人の小さな町である。
100万人都市北九州市からは日豊本線を南に電 車で30分の所であり、交通には不便はない。
中津小学校時代はほとんど毎日のように剣 道の稽古又は、友人宅へと外で遊んだ記憶 が多い。
地元のソフトボールクラブではセカンドと ショートを守り、地区大会ではいつも上位 に入る強豪チームであった。いまでも不思 議に思っているが、小学校の入り口付近に 第二次世界大戦時の内閣総理大臣であった 東条英機から贈呈されたと記されている約10m 程度の大きな石碑が立っている。何故この ような物が小学校にあるのかはいまだ不明 である。
中津中学校時代は学校の陸上部と剣道両方 に精をだし、スポーツ一色であった。
普段は5kmの距離を任され、記録では16分50秒位 であったと記憶している。

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